企業理念
「易不易」
当社は明治36年鑢製造業として創業し、昭和33年機械工具商社「矢代工機株式会社」を設立いたしました。
以来、ものづくりに不可欠な工作機械や工具の販売を通じ、生産性向上に寄与すべく最善最適な商品、サービスを提供する努力を重ねて参りました。その歴史は「手作業」によるものづくりが「動力機械化」に置き換わり大量生産を可能にし熟練による「職人技」が高速高精度のNC工作機械によりミクロンオーダーの再現性を持つに至ったものでありました。
そして今、時代のキーワードは「労働人口減少」と「人工知能」です。これ等は一見、我が国のものづくりにとってネガティブな要素に思われますが、過去の歴史になぞらえば今現在が大きな変革期にあることは誰もが気づくことでしょう。変革期にはリスクと同様に大きなチャンスも存在するはずです。
「易」=変わるもの、変えてゆくべきは「技術」です。
「不易」=変わらぬもの、変えてはならぬものは「人と人との関係性」です。
「易」と「不易」の間を取り持ち、ユーザー様の更なる生産性向上の御手伝いをさせて頂く、我々はそれをミッションとする商社であり続けます。
企業概要
| 会社名 | 矢代工機株式会社 |
|---|---|
| 公式サイト | http://yashirokoki.com/ |
| 設立 | 昭和33年6月 |
| 本店所在地 | 〒959-1277 新潟県燕市物流センター1-16 |
| 事業所 | 新潟県燕市 |
| 資本金 | 1,600万円 |
| 売上高 | 12億2,800万円(2018年12月期) |
| 従業員数 | 11名 |
| 事業内容 | NC工作機械、汎用工作機、鍛圧機械、自動専用機、ロボットならびに機械工具販売 |
| 月平均所定外労働時間 | 月20時間以内 |
| 電話番号 | 0256-63-7373 |
沿革
| 明治36年(1903) | 矢代又五郎 鑢製造業を創業 |
|---|---|
| 昭和29年(1954)8月 | 矢代一夫、矢代庄吾より業を継ぐ |
| 昭和33年(1958)6月 | 矢代鑢製造所を法人組織に改め 資本金150万円にて矢代工機株式会社を創立 初期社長 矢代 一夫 |
| 昭和34年(1959)1月 | 弊社製 万能帯鋸盤を発売 |
| 昭和37年(19064)10月 | 300万円増資し、資本金450万円 |
| 昭和38年(1964)1月 | 鑢製造を廃止し、新たに板金作業開始 |
| 昭和39年(1964)7月 | 200万円増資、資本金650万円 |
| 昭和40年(1965)6月 | 200万円増資、資本金850万円 |
| 昭和40年(1965)9月 | 矢代製 ヤスリ盤の発売開始 |
| 昭和40年(1965)12月 | 200万円増資し、資本金1050万円 |
| 昭和41年(1966)10月 | 矢代製 平面研削盤の発売開始 |
| 昭和42年(1967)12月 | 350万円増資、資本金1400万円 |
| 昭和44年(1969)5月 | 新社屋(中央通り)建設の為、仮事務所に移転 |
| 昭和44年(1969)11月 | 金属洋食器向け、自動半切プレスの試作に成功し発表会を行う 新社屋1階事務所完成し、仮事務所より移転 |
| 昭和45年(1970)1月 | 200万円増資、資本金1600万円 |
| 昭和45年(1970)3月 | 自動半切プレスの第1号機を納入 新社屋全館完成し、落成式を行う |
| 昭和51年(1976)3月 | 燕市物流センター内に卸団地営業所を新築 |
| 昭和53年(1978)3月 | 物流センターに本社機能を移管 |
| 昭和56年(1981)3月 | 物流センターを本社とし、中央通を営業所とする |
| 昭和63年(1988) | 創業30周年 |
| 平成9年(1997)3月 | 矢代歌子2代目代表取締役社長就任 矢代秀晴代表取締役専務就任 |
| 平成10年(1998) | 創立40周年 |
| 平成16年(2004) | 田中広一常務取締役就任 |
| 平成17年(2005) | IBMAS400入替及びPCシステム導入 |
| 平成19年(2007)3月 | 無担保保社債5000万円発行(第四銀行引受け) |
| 平成20年(2008)4月 | 創立50周年 矢代秀晴 代表取締役 矢代歌子 取締役会長 田中広一 専務取締役就任 |
| 平成29年(2018) | 創立60周年 |